「いじめ」と「不登校」そして「新任教諭の早期退職」はどのように繋がっているのか【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「いじめ」と「不登校」そして「新任教諭の早期退職」はどのように繋がっているのか【西岡正樹】

生徒や教師にとっての「学校の居場所」とは


「学校でいじめが起きないようにするには、教員たちが、子供たちに社会性を身につけてもらう指導をできるかどうかがカギになると思う」毎日新聞(20235月21日)における東京理科大学教授の言葉だ。果たしてそれは本当だろうか?「自分の居場所がない不安定さ(不安)」が大きな要因じゃないかと語るのは、小学校教員歴40年の西岡正樹氏。いま学校で起きていることは何か。机上の空論はやめた方がいい。学校現場の話にこそ耳を傾けるべきだろう。


写真:PIXTA

 

 

 「いじめ認知 最大30倍差」」

 毎日新聞の一面、このような見出しが私の目に飛び込んできた。「なるほどな」と思った。また、「こうなるだろうな」という思いも同時に浮かんだ。教育現場にいる時から「いじめの実態調査」について訝しく思っていた。担当者が教えてくれたが、「これはいじめ事案だ」と定義する基準は「他の人の言動で嫌な気持ちになった、または辛くなった」というのだから、こういう結果になっても当然だろう。

 そもそも数字だけを追いかけているようなこの調査に対して、自分のクラスが深刻な状況にない教師たちの当事者意識の希薄さは否めない。しかし、出てくる数字が少なすぎるから、という理由で調査の見直しを言い渡された学校があるようなのだが、「いじめを早期に見つけ出して重大化をさけるため」という目的でこの調査を行っているのならば、数字合わせをするよりもやらなければならないことはあるだろう。

 「いじめを見つけ出すこと」は必要なことだが、教育委員会や学校、そして保護者が、まず考えなければならないのは、「いじめが起きない教室や学校にするために取り組むべきことは何なのか」を学校は家庭や地域といっしょに真剣に考え、行動することではないのだろうか。

 

 そのようなことを考えながら記事を読んでいると、また、次の一文に目が留まった。

 「学校でいじめが起きないようにするには、教員たちが、子供たちに社会性を身につけてもらう指導をできるかどうかがカギになると思う」

 毎日新聞(20235月21日)における東京理科大学教授の言葉である。その時、その一文を素直に受け入れられない自分がいた。確かに子どもたちが社会性を身に着けるために、学校がやるべきことはあるだろう。しかし、この一文はあまりに一面的過ぎる。子どもが社会性を身に着ける場所は、今や学校や家庭だけではないのではないか。特に、今、子どもたちの生活を見ていると、他者と関わる場所はたくさんある(スポーツクラブ、塾などなど)。また、ある子どもにとっては、生活の比重が最も大きい場所が学校や家庭ではなくなっているのだ。

 もう一つ、東京理科大教授の言葉を素直に受け入れられない理由がある。それは、子どもの「いじめ」が起こる一番の要因を「社会性」ではなく「自分の居場所がない不安定さ(不安)」だと、私は考えているからだ(考えてみてください、社会性が身についていても「いじめ」は起こるでしょう)。社会性を育んでいる大人社会でも「いじめ」は多々あることだし、教師の世界にだって「いじめ」は起きる(過去に新聞の社会面を賑わした)。

 人は不安定になると、より弱いところに自分の不安をぶつけることがしばしばある。それは世の常だ。

 

 そもそも子どもの世界で「いじめ」が全く起きないなんてことはないと思うが、発生件数を減らし重大化しない状況をつくることはできる。私も自分の教室で見てきたが、特に学年、学期始まりなど、まだ教室の中が不安定な時期には、「靴隠し」や「もの隠し」、また、誰かを誹謗中傷した「落書き」などがよく起きた(家庭でも不安定な生活をしている子どもは尚更拍車がかかる)。ここ数年の様子を見ているとその傾向は強い。

 特に自分の思いや考えを言語化できない年齢では、自分の不安を誰かの不安で解消しようとするので、さらに起きやすいのだ(幼稚な大人もそうですが)。しかし、時間の経過とともに子どもたちの間に繋がりが生じ、教室が安定してくると、子どもたちの衝動的な言動は激減する。子どもたち同士、お互いの繋がりが見え始め、自分の「居場所」が教室の中に見つけられると、それと比例するように「嫌がらせ」は少なくなった。

 「友だちと関係がうまくとれない子」や「嫌がらせを受けている子」そして「嫌がらせをしている子」は、学校や教室に自分の安心できる「居場所」がないのだから、学校や教室に足が向かなくなるのも理解できる。このような理由で学校に行かなくなっている子は少なからずいるだろう。あらためて確認しておきたい。私が理解している「居場所」とは、「自分がそこにいてもいいと思える場所」であり、「居心地がいい場所」である。

 自分の「居場所」はあちこちにある。一人でいたい時の「居場所」もあれば、仲間といる時の「居場所」もある。海や学校、そして家も自分の「居場所」だ。また、もっと細かく見ていくと、学校の中にもいくつもの「居場所」がある。教室、保健室、運動場、体育館、そして、友だちとだけ行く秘密の場所だってあるだろう。子どもは、いろいろな所に自分の「居場所」を見つけているのだが、もしその居場所がどこにもないとなればどうなるのだろう。

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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